関脇・貴景勝が、新大関を決定的にした。体の小さかった少年が、22歳で夢の横綱への第一歩を踏み出した。成長の裏には、息子の可能性を信じ、厳しく、そして優しく、愛情を注いだ両親の姿があった。今場所何度も会場に足を運び見守り続けた父・一哉さん(57)と母・純子さん(52)が、スポーツ報知に手記を寄せた。
〈父・一哉さん〉 大関昇進が決定的だと聞き、うれしい。おめでとう。平成で身長170センチ台初の大関を見てみたかった。これで背が小さい力士も勇気付くと思う。貴信の活躍で、たくさんの人が喜んでくれている。ありがたいことです。
〈母・純子さん〉 今まで生きてきた中で、一番幸せな日になりました。心からおめでとうと言いたい。会場には初日から通い続けてました。勝ち越しを決めた日。周りに気付かれないように、車に乗ってからそっと私を呼んでくれたね。「おめでとう」って伝えることができてうれしかった。相撲中継で、いつも「あの頭ひとつ分(身長が)低いのが、貴景勝関です」って紹介される。その度に胸が締め付けられました。死ぬまで言われるのかな、申し訳ないなあ、私の家系が小さかったから似たのかなと。小さい頃から、ぶら下がり健康器で「寝る前に10秒!」とか一生懸命やっていたんですけどね。
〈父〉 昔から、夫婦2人で教育熱心でした。貴信にはズバ抜けた運動神経と闘争心があったから、私は勉強して大学に行くのはもったいないと思った。イチロー選手や大谷翔平選手が一般企業に就職してもと思うんですよ。相撲を始めるからには、じゃあ横綱、大関を目指そうと。子供には思い切った事をやらせたいと思っていました。
〈母〉 おなかにいる時から、強い子に育ってほしいと総額で70万円くらいの教材を買って、胎教もやりました。2歳からは(計算トレーニングの)カードも見せたり。私は何も特技がないから普通に大学行って、働いた。だから子供には、特技を見つけて伸ばしてあげたいとの思いでした。でもスポーツで食べていくのは、ハナから無理だと決め付けていた。勉強して良い大学行って、幸せな家庭を築いてもらいたいというのが希望でした。
〈父〉 スポーツと勉強で、教育方針は家内と真逆で、よく夫婦げんかもしました。小学校は(私学の)仁川学院小でしたが、あとで先生から聞かされました。東大医学部に進学した同級生が「貴信の方が頭良かった」と言っているってね。
〈母〉 本当に何でも、一生懸命頑張る子でした。小学1年生で塾を3つ掛け持ちして、宿題が追い付かなくても夜中の1時まで勉強していました。小学生の時は、空手だけじゃなくてサッカーも野球も水泳もやっていた。サッカーは、全部1人でドリブルするから試合にならなかったけど(笑い)。空手から帰宅し、ご飯を食べて勉強。でも体調を崩すなどストレス症状が出て、もう勉強はやめようって。それからサポートに徹しました。相撲を始めてからは体を大きくするために毎晩、肉を1キロ買ってきて、味もトマト、チーズ、キムチと変えながらちゃんこ鍋を作りました。量が多く、最後は私が口に放り込んでたのが懐かしいです。
〈父〉 小学校の時は、保存容器にご飯4合を詰めて持たせていました。昼休みが終わるまで、1人で食べていたそうです。
〈母〉 あの子は私たち両方に喜んでもらいたいと思って、ずっと頑張ってきました。今も、頭から当たるから心配だけど…。でも貴信を見て、小さいから相撲は無理だと思ってる子も、チャレンジしてほしいなと思います。
〈父〉 私も含め、埼玉栄高の山田道紀先生も、(前師匠の)貴乃花親方も、熱心な人ばかり。だから期待に応えようとする。それが貴信の人生。現役の間はファンのために頑張って、これからも精いっぱい相撲を取るべきです。貴信は、まだまだやれる。だから横綱を目指さないといけない。
◆愛される力士になってほしい
観戦した日は全て負けていたという父・一哉さんはこの日、「情けなかった。最後に勝てて良かった」と胸をなで下ろした。母・純子さんは場所中に携帯電話のメッセージで連絡を取り合った。その際に「大関になる」という決意が送られてきたという。「愛される力士になってほしい。プレッシャーが続くので体が心配」とおもんぱかった。
原文出處 《體育報知》(スポーツ報知)