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[映画評]「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」…おとぎ話に新たな命吹き込むストップモーションアニメ


「パンズ・ラビリンス」「シェイプ・オブ・ウォーター」など、異形の生きものや不思議な存在を導き手に、人の心、世界のありようを照らし出す傑作を世に送り出してきた映画作家、ギレルモ・デル・トロが、またすごい作品をつくった。

あまりにも有名な木製のパペット・ピノッキオを主人公にしたストップモーションアニメ・ミュージカル。イタリアのカルロ・コッローディが19世紀後半に書いた童話「ピノッキオの冒険」で生を受け、ディズニーのアニメでも親しまれてきた、あやつり人形の男の子に、デル・トロは、映画という表現の力を駆使して、文字通り、新たな命を与えている。監督はデル・トロとマーク・グスタフソン。グスタフソンは「ファンタスティックMr.FOX」でもアニメーション監督を手がけた、ストップモーションアニメの名手だ。

父と子の物語である。始まりは第1次世界大戦下。善良な木彫り職人ゼペット(デヴィッド・ブラッドリー、以下かっこ内は声のキャスト)は最愛の息子カルロ(グレゴリー・マン)を突然失う。長い長い傷心の日々を送るゼペットを見かねた木の精霊(ティルダ・スウィントン)は、彼が衝動的に作った人形に生命を与える。それがピノッキオ(マンの二役)。ただ、新しい息子ピノッキオは何しろまっさら。邪気がないのは間違いないのだが、何が良くて何が悪いかがよくわからず、愚かなふるまいで父ゼペットを落胆させてばかり。挽回しようとして、旅回りの興行師ヴォルペ(クリストフ・ヴァルツ)についていってしまう。やがて父は、行方知れずになった息子を捜すため、小舟で海に漕ぎ出し、巨大な生き物にのみ込まれる。

父、もしくは父のような存在を喜ばせたい。あるいは認めてもらいたい。この映画には、ピノッキオをはじめ、そんな子どもたちが登場する。興行師につき従うサル(ケイト・ブランシェット)しかり、町のお偉方(ロン・パールマン)の息子(フィン・ヴォルフハルト)しかり。でも父親が間違っていて、しかも、その過ちを正そうとしなかったら――悲劇が起きる。物語の主な背景となるムソリーニ全盛期を生きる「お偉方」のような男たちも、独裁者の息子のようなものだったと言えるかもしれない。

生身の役者によるストレートなドラマだったらずっしり重く見えかねない話。だが、そこはデル・トロ。パペットが紡ぎ出すおとぎ話というフレームを存分に生かして、ピノッキオの冒険と成長、そして愛情深きゼペットとのドラマをたっぷり楽しませつつ、「父」と「子」はどうすれば幸福になれるのかを浮かび上がらせていく。ただし、デル・トロの世界において、人ならぬ存在は人の代替物でもなければ、ファンタジーは疑似現実ではない。人間以上に、現実以上に、真実を凝縮して、私たちの目の前に立ち現れる。

主要な役どころとして登場する「女性」は、木の精霊と対になる死の精霊(スウィントン二役)のみで、それぞれが生と死をつかさどる存在というのも興味深い。

今作のピノッキオは、絶妙なとんがり鼻にのんきな笑顔、幼児体形の胴体から突き出たひょろりとした手足が特徴。ゼペットが激情にかられて作った人形ゆえ、後頭部周辺は若干雑だが、それもまたパンクな味わいで彼らしい。彼を見守る「話すコオロギ」セバスチャン・J・クリケット(ユアン・マクレガー)は小さいけれど、知的でかっこよくて、なぜか不死身……。一つ一つのキャラクターの姿かたち、動きは、見れば見るほどもっと見たくなるほど優れていて、彼らの生と死をめぐる物語への凝視を誘う。そして、それらは物語や美術セットとも相まって、過去のデル・トロ作品で見た誰かの物語を思い出させたりもする。彼が父権制への抵抗をずっと描いてきたことも。

結末はハッピーエンドだが、コッローディの原作とは異なる。ピノッキオと仲間たちの生と死を見つめながら、大切な誰かの存在を思い浮かべる人も、きっと多いだろう。その瞬間、人と人ならざるものの境目は、美しく消える。

ネットフリックスで独占配信される「ネットフリックス映画」だが、配信に先駆けて劇場でも公開されている。 精緻せいち につくりあげられた映像をスクリーンで楽しんで、配信でディテールを繰り返し味わう――というのが理想だろう。音楽はアレクサンドル・デスプラ。彼の作曲による数々のナンバーも心に残る。(編集委員 恩田泰子)

◇Netflix映画「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」(原題:GUILLERMO DEL TORO’S PINOCCHIO)=上映時間:1時間57分=一部劇場にて11月25日から公開、12月9日からNetflixで独占配信開始

原文出處 讀賣新聞

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