大切な人、住み慣れた町を一瞬にして奪われたあの日から10年が経ちます。残された人たちは苦悩を抱えながら、互いに支え合い、生きてきました。
私たちは、家族の歩みをカメラで記録してきました。写真には、それぞれが見つめる「あなた」への思いが詰まっていました。
2011年5月、6歳の佐々木颯(そら)さんと出会った。颯さんの母、加奈子さん(当時33)は津波に流され、不明のままだった。震災の3年前、離婚後に埼玉県から実家のある岩手県山田町に戻り、保険の外交員をしながら颯さんを育てていた。「颯ちん、おいで」。帰宅すると家で待つ颯さんを必ず抱きしめた。
母に会えない寂しさから「俺も津波に流されたらママに会えるかな」と祖父の正男さん(70)、祖母の悦子さん(69)を戸惑わせた。夜、「ママは本当に帰ってこないの?」と声をあげて泣いた。「声をあげて泣いたのはあの時の一度きりだけ」。悦子さんは振り返る。
「いつまでもこのままにしておくわけにはいかない」。7月、正男さんらは加奈子さんの死亡認定の手続きをした。8月16日、お盆の送り火の花火で、颯さんは母を見送った。「お盆が終わったからママは天国へ帰るんだよ」と正男さんが言うと、颯さんは急に黙り込んだ。「ママ、バイバイ」。絞り出すように颯さんは加奈子さんに語りかけた。花火から立ちのぼる白い煙が夜空に消えていった。
DNA鑑定で判明した加奈子さんの遺骨が9月、自宅に戻ってきた。遺骨が納められた小さな箱を前に、「ママが家に帰ってきた」と言い聞かせながら、颯さんは目から涙をこぼした。母親の「死」を懸命に受け入れようとしているように、悦子さんには見えた。
原文出處 朝日新聞