終戦から15日で78年。山梨学院大卒の関根則男さん(64)(千葉県)は、中国の 骨董こっとう 市で見つけた山梨県出身の日本軍人の写真をブログでつながった遺族に届けた経緯を一冊の本にまとめた。この写真に姿を残した軍人は、39歳で戦死。その妻と子どもも終戦間際の逃避行で命を落としていた。関根さんは「一枚の写真との出会いが、悲惨な史実や教訓を教えてくれた」と語る。
2014年8月、中国・吉林省長春市の骨董市。自動車メーカーの現地法人社長として中国に赴任していた関根さんの週末の楽しみは、骨董市の散策だった。店先で古写真の束をめくっていると、日本の軍人の写真があった。「この写真はいくらですか?」。とっさに買い求めていた。裏には「青木善之助」という文字がうっすらと残り、服装や階級章から、昭和初期に撮影された士官だと分かった。「日本軍に対して強い拒否感がある中国で、捨てられずによく残っていた」と胸を打たれた。
詳しい情報を得ようと、自身のブログに写真を載せた。閲覧者と協力して防衛省などに問い合わせ、青木氏が朝鮮半島や中国に派遣され、1939年に戦死したことを突き止めたが、遺族について知ることはできなかった。
「できれば写真をお譲りいただきたい」。2016年1月、ブログを見たという青木氏の遺族から、依頼のメールが届いた。
ホテルのレストランで面会した長男・宏司さんに写真を手渡すと、「父に間違いありません。本当によく探してくださいました」と感謝された。しかし、13歳で終戦を迎えた宏司さんの口から語られたのは、残された家族の過酷な運命だった。
2014年8月、中国・吉林省長春市の骨董市。自動車メーカーの現地法人社長として中国に赴任していた関根さんの週末の楽しみは、骨董市の散策だった。店先で古写真の束をめくっていると、日本の軍人の写真があった。「この写真はいくらですか?」。とっさに買い求めていた。裏には「青木善之助」という文字がうっすらと残り、服装や階級章から、昭和初期に撮影された士官だと分かった。「日本軍に対して強い拒否感がある中国で、捨てられずによく残っていた」と胸を打たれた。
詳しい情報を得ようと、自身のブログに写真を載せた。閲覧者と協力して防衛省などに問い合わせ、青木氏が朝鮮半島や中国に派遣され、1939年に戦死したことを突き止めたが、遺族について知ることはできなかった。
「できれば写真をお譲りいただきたい」。2016年1月、ブログを見たという青木氏の遺族から、依頼のメールが届いた。
ホテルのレストランで面会した長男・宏司さんに写真を手渡すと、「父に間違いありません。本当によく探してくださいました」と感謝された。しかし、13歳で終戦を迎えた宏司さんの口から語られたのは、残された家族の過酷な運命だった。
ただ一人生き残った宏司さんは「戦争は家族をバラバラにしてしまった。その体験は娘や息子には話せずにいた」と語った。
関根さんは「戦争は被害者の数で捉えるのではなく、生きていた一人一人に被害をもたらしたことを知らなければならない」と思い知らされた。
戦争体験を証言した宏司さんは17年7月に亡くなった。関根さんは「どうすれば、戦争を防ぐことができるかを真剣に考えなければいけない」と語った。
関根さんは、写真を届けるまでの経緯などを記した「流転の一葉 遥かなる山河」(東京図書出版)を出版した。本は四六判104ページ、1000円(税別)で、通販サイト「アマゾン」などで購入できる。
原文出處 讀賣新聞