明治維新から、わずか4年後の1871年。5人の少女がアメリカに渡った。その中に当時12歳の山川咲子、のちの大山捨松がいた。激動の明治時代にあって初の女子留学生としてアメリカで11年間を過ごし、日本が急激な西洋化政策をとる中、日本人女性の進むべき道を切り開き続けた女性です。「鹿鳴館の名花」と謳われ、日本の西洋化のためにありったけの情熱を注いだ大山捨松の生涯を紐解きます。
山川捨松(大山捨松)(1860-1919)
日本最初の女子留学生の一人。大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性。元老となった大山巌の妻としての立場を通じ、看護婦教育・女子教育への支援に尽力した。
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