新型コロナウイルスの脅威に覆われたこの1年、社会には「距離」という新たな規範が生まれた。集うことも、触れあうことも奪われた世界で、他者へのいらだちや社会の分断がむき出しになっている。この息苦しさをどう乗り越えられるのだろう。音楽は距離を超える、という。2020年、数多くの人に音楽を届けたミュージシャンの米津玄師さんは「普遍性を見つめ直す」と語った。
――新型コロナの感染拡大が始まった2020年2月、米津さんはライブの中止を決断しました。その際のメッセージに、自身のことを「あまりに無力」と書いていたのが印象的でした。
「自分は、『あってもなくてもいいもの』を作っている、という自覚は以前からありました。(生活に必要不可欠な)1次産業に比べて。音楽は、人の心に作用して、時に誰かの明日を生きる糧になるものではある。けれども、新型コロナウイルスを前にライブをすることすら出来なくなってしまうというのは、脆弱(ぜいじゃく)な存在だと、改めて強く感じました。それに、罪悪感のようなものも感じていました」
――なぜですか。
「自分は、家の中、パソコンの前で一人で作業をすれば成立してしまう業種ですが、そうではない人間のほうが多いわけですよね。満員電車に乗らなければならない、人と接触することでしか成立しない、そういう業種の人たちは、これからどうやって生きていくのだろうかと。そこに申し訳なさを抱えるようにもなりました」
――8月にオンラインゲーム「フォートナイト」内でバーチャルライブを開きました。現実空間で集まれないなか、ゲーム空間で多くの人が集いました。
「現実に空間を共有することができないのであれば、仮想世界でアバター(分身)を持ち寄って集まる。そこから出発したライブでしたが、すごく刺激的ではありました。今後、おそらくテクノロジーの発達によって進化していくと思います。ライブのあり方というのは変わっていくのかもしれません。少なくとも、聞いてくれる人間との距離が近くなった、遠くなったという変化はなかったと思います」
――仮想空間で音楽を伝える意味を感じましたか?
「自分は昔からオンラインゲームが好きでした。オンラインでのコミュニケーションをしていて感じたのは、現実でのコミュニケーションとは別物であるということです。相手の顔も性別すらもわからない仮想の肉体同士で接し合う。それによって救われる部分が大きくあります」
「オンラインゲームは、昔はマイノリティー(少数派)が集まる場所で、そういう人間にとって、インターネットの中で正体を明かさずに構築できるコミュニケーションはものすごく救いがあるんですよね。情報が制限されるからこそ豊かであるという記憶があって、今回のバーチャルライブでも共通するものがあると思いました」
原文出處 朝日新聞